作品に罪はないのに

「有名音楽家に親日のレッテル、光州の私立校が校歌変更(朝鮮日報日本語版)」と言うニュースを見た。

韓国光州市の私立光徳中学・高校は、作曲家・金聖泰が作曲した校歌の斉唱を2月の卒業式から禁止したという。金聖泰は、「韓国の歌曲の父」と呼ばれ数々の著名な曲を作曲した。しかし、韓国が日本の植民地だった時代末期、金聖泰が日本寄りの楽団で音楽活動したので「親日」とされ、「親日人名事典」に名前が載っているのが理由だそうだ。しかも、この親日と言うレッテルは、後に間違いであった事が判り取り消された。しかし、いまだに「親日人名事典」に名前が載っているため、作曲された校歌と親日に関連が無いにもかかわらず、校歌を変更するというのだ。これは私立光徳中学・高校に限ったことではなく、韓国内で他にも多くの学校が「親日」を基準に同じ動きを見せている。全国教職員労働組合(全教組)は、「親日校歌を変更せよ」と圧力をかけている。

作曲家が、親日であるかどうかによって校歌の価値が変動するというのか。韓国の教育現場では、日本を憎悪の対象として教育しているらしい。植民地時代に親日だったとされる人の事物を否定したり、改廃してしまうのだ。韓国には「思想良心の自由」や「表現の自由」は許されないのだろうか?不思議に思う。

他国のことばっかりも言ってられない。わが国では、芸能人が麻薬や大麻など犯罪に関与すると、その人が出演していた映画やドラマ、又は音楽などが上映停止や配信停止になってしまう。共演者や他の関係者が、その犯罪とは無関係なのにだ。出演者が犯罪を犯していたならば、その罪を罰せればよいではないか。その人の人格までも否定してしまうような行為は如何なものか。芸術や作品の固有の価値を評価すればよいことだ。その作品を楽しむも楽しまないも、受け手側の自由ではないか。嫌な人は、視聴しなければ済むことだ。作品には罪がない。出演者や作者及び関係者の作品とは関係の無い事で、作品がお蔵入りし、陽の目を見ないのはあまりに悲しすぎる。

東京都の防潮扉にネズミのいたずら書きがされていたそうだ。その絵がバンクシーの作品かもしれないとして、東京都は取り外して倉庫で保管した。誰がいたずら書きしたかにかかわらず、許可なく公共物へされた落書きは、法の執行者である東京都が消去するのが筋だ。東京都は、バンクシーの名前に踊らされているバカ者にしか見えない。人が付けたレッテルでしか物を判断できないのでは、行政府たりえない。

私は、高校の選択科目で美術を選択した。この美術の先生から、油絵の指導を受けた。絵の具のパレットに、10個入りの卵の空きケースを使用していた。先生は、「どんなに良い道具を使って描いても、ヘボはヘボ。」とおっしゃっていた。芸術家の先生にとっては、作品の善し悪しが全てだったようだ。良いものは良い、悪いものは悪い、ただそれだけ。

余談だが、美術の先生は、「秋吉匠」と言う名前だった。後日知ったが、秋吉先生は、第7回日展洋画部門の特選受賞者だった。先生は、授業中に「長嶋は、野球ばっかりしていて、しょうがない奴だった。」とポツリと言った。長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督が高校生だった頃、すでに美術教師だった。

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