「平和の少女像」(慰安婦像)
- By: Uchidatoshio
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最近、インターネットのある記事を見てハッとしたことがある。慰安婦像に関する記載だった。私は、慰安婦像を芸術作品と見ることに違和感がある。
2011年12月、韓国ソウルの日本大使館前に韓国人芸術家夫妻が制作した銅像が設置されて久しい。私は、テレビ等の映像を見ただけで、現物を見たことはない。姿勢よく椅子に座った少女像で、私には素晴らしい芸術作品だと言う印象がない。
パブロン・ピカソの作品に「ゲルニカ」がある。ドイツ空軍がゲルニカと言う都市を無差別爆撃したことをテーマに制作された作品だ。「スペインを苦悩と死に沈めた軍隊に対する憎悪を表現した」とピカソが語った。絵を見て美しいとは思わない。芸術家が作品に自分の表現したいことを体現すれば、美しさと反対の表現にもなることも理解するし、そのような作品が多々存在する。それらはそれで良いのだ。ただ私は、美しい作品を鑑賞するほうが好きだ。
ソウルの日本大使館前に設置された像は、日本では慰安婦像と呼ばれるが、韓国では「平和の少女像」と呼ばれる。「女性と子供の人権の為に、皆の平和と自由の為に、全世界が共に行動すべきだ。再び女性と子供の人権がふみにじられることが繰り返されてはならない。」という理念が掲げられている。世界の発展途上国や、戦争紛争地帯及び宗教の教義など様々な理由で今なお、女性や子供の人権が軽んじられ、蹂躙されている国が多数あるのは残念だ。「平和の小女像」の理念の提唱者は、これらの国の状況を変えようとする意志はあるのだろうか。
さて、韓国の人権団体等が「平和の少女像」を韓国の公園に設置するのを日本政府が反対することはできないだろう。その場合でも、公園管理者等に法令等に基づき許可申請手続き等がされているだろう。私有地ならば許可はいらないが。
しかし、ソウルの日本大使館前に設置された平和の少女像についてはどうか。公道上に設置されているのに、正規の手続きを踏んで設置されたものではないらしい。そして、外交関係に関するウィーン条約の規定により、韓国政府は日本政府在韓公館の為に安寧・威厳の維持をしなければならず、日本政府は平和の少女像の撤去を求めている。しかし、韓国政府は、それを何年も放置している。このような韓国政府の対応に一日本国民として怒りを覚える。だが、私の問題はそれではない。
私は、愛知県が国際芸術祭で表現の不自由展などとして「あいちトリエンナーレ2019」に平和の少女像を展示する支援をしたことに違和感を覚えていた。この展覧会は、名古屋市長を始め多くの人が反対をしていたはずだ。主催者は、「表現の自由」を前面に出せばなんでも許されると思っているようで、私には何か納得できなかった。最近は、セクハラ・パワハラ・モラハラなど、ハラスメントという言葉があふれかえっている。相手方を傷つけるハラスメント行為をしないよう十分に配慮することが求められる時代だ。「平和の少女像」は反日を象徴していて、気持ちの良いものではない。それなのに、愛知県と言う最上位の地方公共団体が反対者の多い展覧会を支援するとはどういうことなのか。芸術の中に、製作者の主義・主張が入ることは表現として当たり前だろう。しかし、「表現の自由」ばかりを主張すれば、どこかしらで他の概念と摩擦を生じる。一方に偏った立場で公共機関が後援するのは避けなければならないだろう。
方向性無く書いているが、本稿の主題はこれらではない。WoW!Koria の「どうして『平和の少女像』は無くてもよい場所にはあり、絶対にあるべき場所にはないのか?」 と言う記事を読んだことだ。
この記事によると、ソウルの日本大使館前に設置された「平和の少女像」が全く同じデザインで韓国に82体、韓国海外に16体建てられている。これら少女像が韓国の海外で、米国、オーストラリア、ドイツ、カナダなど、既に女性と児童の人権が高い水準で重視されている国でのみ建てられている一方で、アフリカ、中東、インドや北朝鮮などの女性や児童などの人権が蹂躙されている国々に設置されない事に矛盾があるとする記事だ。このことにハッとした。「平和の少女像」の問題は、そこなのだと思った。
日本では慰安婦像と呼ばれる像を設置する者達は、「平和の少女像」と名付け「女性と子供の人権の為に、皆の平和と自由の為に、全世界が共に行動すべきだ。」とお題目を唱え、米国、オーストラリア、ドイツなど人権水準が高い国にのみ慰安婦像を設置している。しかし、最も人権への配慮が求められる人権水準の低い国に「平和の少女像」を設置しようとする動きはなく、少女像の設置団体が全世界の人権保護などまったく顧みていないのである。もっともらしい理念を掲げているが、その理念は虚偽でしかなく、少女像はただの反日の道具だという事実を証明している。
記事の言うように「平和の少女像」を海外に設置して、その附帯する理念を伝え広げようとするならば、人権水準の低い国々に設置していかなければならない。設置すべきは、米国、オーストラリアやドイツではないはずだ。だからそれら少女像が設置された国々の名前により、その設置目的がただ日本を貶めることを目的としていることが証明される。「平和の少女像」とはただの名ばかりであり、ただ慰安婦の象徴して設置された国での日本の評判を下げることを目的としているものだと。しかも、製作者は13歳から15歳の少女をイメージして少女像を作成したが、実際の慰安婦はもっと年齢が上であり、年齢を引き下げることにより少女像は、日本軍が年端もいかない少女を慰安婦にさせたような印象を持たせる。少女像は、単に政治的目的や日本に対する嫌がらせや過去への恨みの体現でしかなく、「表現の自由」や芸術性云々では無いと私は思う。
「平和の少女像」は、素晴らしい芸術作品や表現の自由の保護対象ではなく、単に悪意による創造物なのである。以前、製作者の芸術者夫妻がこの慰安婦像の同じ物を何体も制作して多大な収益金を上げている一方で、他者が慰安婦像を制作すると著作権(?)を主張して邪魔をしているような記事を読んだ。少女像を自己の金儲けの道具としか見ていないようだ。私は、慰安婦像を反日の為の公告物であり、「表現の不自由」などと持ち上げるような芸術作品ではないと思う。
蛇足だが、表現の不自由展では、昭和天皇のコラージュ作品を燃やす映像なども展示されたようだ。第二次世界大戦後になっても皇室への敬愛を多くの国民が抱いている。そのような人には、自身の親の写真を燃やされたように感じる方もあるだろう。自分の心の中に土足で踏み込まれ、ナイフを突きつけられるように。表現に現実の制約や暗黙の制約があるならば、制約を楽しむように工夫するべきと思う。人の心を傷つける物は、公衆の面前から退場を願いたい。
最後に思うことを述べる。東京の韓国大使館の前に伊藤博文の銅像を設置したらどうであろう。日本国初代総理大臣としてその栄誉を称える銅像を建てることに問題はあるだろうか。伊藤博文像に経歴の最後として「朝鮮人テロリスト安重根によりハルビン駅で暗殺された。」との文を添える。韓国大使館に行く韓国人は、嫌な気持ちにならないだろうか。
相互に相手国を尊重すべきだ。在韓国日本公館周辺の慰安婦像は、韓国政府が至急撤去すべきと思う。もし、この「平和の少女像」が芸術作品として評価されるものならば、その理念を普及するしかるべきところに設置されて人々から評価されるものだろう。その場所は、日本公館の周辺ではない。