石井くん
- By: Uchidatoshio
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成田国際空港の南側に隣接して芝山町がある。山林、田畑の中に住宅が点在している。典型的な農村地域である。最近は、物流倉庫など空港関連施設も大分見受けられるようになった。
私は、ここの芝山中学校の卒業生だ。クラスに石井君がいた。今でいえば、なかなかの「イケメン」で朗らかな性格なので、女の子に人気があったと思う。在学中にクラス替えがなかったので、3年間彼と同じクラスで時を過ごした。記憶に残る彼の思い出と言えば、雲間からこぼれる放射状の太陽光を「レンブラント光線」と言うんだと教えてくれたことだ。彼とはケンカをしたこともなく、ただ普通のクラスメートだった。
第二次世界大戦の終了から73年目を迎えた。8月になると戦争に関連した番組がいくつか放送される。昔より幾分数が減ってきているようだ。平和を享受できることはこの上もない喜びだ。
私が中学生だった頃だろうか、今は亡きおじが、「芝山町に陸軍中将がいた」と言っていたのを耳にしたことがある。戦争などに興味がなく、軍隊の中将の位がどれだけのものか分からない世間知らずだった。今は、インターネットで何でも検索できる時代だ。陸軍中将とは誰だったのだろうか。調べるとすぐ出てくる。
京都帝国大学医学部卒業、陸軍軍医中将石井四郎とある。戦争に詳しい人は、すぐに「731部隊」という言葉が浮かぶだろう。731部隊といえば、その人体実験で悪名が高い。戦争になると人間はそんな無惨なことも平気で行えるのかというものだ。
A級戦犯という言葉があるが、石井四郎は、「超A級戦犯」といっても過言ではない。しかし、そんな石井四郎だが、731部隊の部下とともに、GHQのマッカーサー司令官により極東国際軍事裁判(東京裁判)の訴追免除をされたという。石井四郎を除いて、A級戦犯は精神障害者1名及び病死者2名の他は、皆死刑や終身刑になった。その後、石井四郎はアメリカに渡るが、帰国して新宿区で医院を開業し、1959年に67歳で亡くなったとされる。
私の父が亡くなりその葬儀の際、参列してくれた私の同級生が「〇〇(石井君の名前)が亡くなって、明日が葬式だ。」と言った。家族が朝になって起こしに行ったら、布団の中で冷たくなっていたとのこと。突然死だったようだ。結局、葬式には行かなかった。
石井四郎は、石井君の集落の出身者である。同じ姓なので、彼の祖先は何かしらの血縁があるかもしれない。もうそれを尋ねることも出来ないし、それを知ろうとする衝動も湧かない。「知らぬが仏」という言葉がある。知らないでいられることは好い事だ。
石井くんのご冥福を祈る。