ポンペイの思い出
- By: Uchidatoshio
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9月2日配信「死して資料を残す ポンペイ火山噴火で見つかった白骨遺体のこしたもの」(坂本哲夫「イタリア便り)を読んだ。西暦79年にベスビオ火山の噴火で姿を消したポンペイで見つかった白骨遺体のレポートだった。
私も一度だけイタリア旅行をしたことを思い出す。一人旅だから、気楽なものだ。ローマからナポリ行き列車に乗った。車掌からお釣りでGETTONEをもらたことは以前投稿したとおりだ。ナポリで一泊し、翌日ポンペイの見学に出かけた。
西暦79年の日本は、まだ弥生時代後期だ。ローマ―帝国の地方都市ポンペイは、火山噴火で発生した火砕流に飲み込まれ、短時間で地中に埋もれた。そして街は、長い眠りにつく。それが18世紀から現在かけて発掘が続けられている。発掘地域は、徐々に広がっている。そのおかげで、私たちも見学できる。
日本は、木造建築だから朽廃してまう。だから、基礎の石や地面に掘った柱の跡を遺跡とするものが多い。ポンペイは、街そのものが火砕流というタイムカプセルにより、当時の事物とともに千数百年にわたり保護されてきた。
広い石畳の通路、家の壁、モザイクタイルの床、フレスコ画や彫刻像など、ぶらぶら歩きまわっても見飽きない。二千年の時を経たものとは思えない。風雨と無縁で風化がされなかったから、建物やいろいろなものが鮮やかに残っている。家に屋根がないのは仕方ないが、見学には好都合だ。白日にさらされた今後の遺跡の保存保護が心配になる。
見学していたら、日本の女子大生(?)グループとすれ違った。暫くすると彼女らは「キャーキャー」と喚声を上げ続けた。そこは、先ほど私は見学してきた家で、中庭もしくは部屋の一角に若い男性像が置かれていた所だ。像は何も身にまとっていない。暫くして管理人が渋い顔をして、そこに立ち入れないようにしていた。良識があるなら、グループ行動のせいにしてはいけない。大人の行動をしてほしかった。
その時からすでに四半世紀を過ぎている。